霊訓


    目次
解説
第一章 幽明の交通[#「幽明の交通」は底本では「幽明交通」(本文は「幽明の交通」)]とその目途
第二章 健全な生活
第三章 幽明間の交渉
第四章 各種の霊媒能力
第五章 幽明交通と環境
第六章 夫婦関係
第七章 真の宗教
第八章 神霊主義
第九章 啓示の真意義
第十章 進歩的啓示
第十一章 審神の要訣

ウィリアム・ステイントン・モーゼス 英国リンカンシア州、ドニントン生まれ。父は学校の校長で、教育に熱心だった。

モーゼスは奨学金を得てオックスフォード大学のエクセターカレッジに入学し、修士号をとって英国教会の牧師の資格を得た。在学中には過労による神経衰弱のため休学し、ギリシアにあるアトス山の修道院で半年ほど過ごした。

1863年、24歳で牧師としてマン島に赴任し、教区の人々から慕われた。天然痘が流行したときは、看護を手伝ったり、ひどい状態で誰も近づかないような遺体を埋葬したという。またこの頃、雑誌への寄稿も始めている。 1869年、30歳で重病に罹り、治療を受けたスピーア博士一家と親交を結ぶ。スピーア夫人が熱心なスピリチュアリストだったため、初めてスピリチュアリズムに関心を持つ。いくつかの交霊会(霊媒ヒュームにも会っている)に出席するうちに、死後存続について確信を持つようになった。

その後モーゼス自身が霊能力を発揮するようになり、初期は重い物体が動いたり、その場にない品物が突然現れたり(アポーツ)、芳香が漂ったり、モーゼスが空中に浮遊するなどの物理的な現象が起きたが、後に哲学的なメッセージ主体のものへと移行していった。

1870年、再び牧師として働き始めるが、間もなく病気が再発したため牧師を辞職。この頃からスピーア博士の息子の家庭教師を7年続けた。「心霊主義英国協会 British National Association of Spiritualism, BNAS」にも参加。

1871年、ロンドンにある大学の英語教師になる。